Stumbling on Wall☆ぜんぶ、フィデルのせい
三月の桜雨と言いますが桜が咲いた後の急激な冷え込みと寒さには身体が驚いてしまいますね
雨が降ったりやんだりの一日でした
いかがお過ごしでしたか
思いがけなく野球のチケットを頂き、開幕5連勝を花火と一緒に喜ぶことのできた夜でした
仕事の休み時間にはみんなでヤシの木のポーズをとったりしてとても楽しかったです
三日月のポーズではみな身体がこきゅこきゅいってました
久しぶりにいっぱい笑ったのでした みなさんありがとう
さてこりずに映画をまた見てきました
今回は
ぜんぶ、フィデルのせい La faute a Fidel(アクサン省略)
(イタリア・フランス 2006)http://www.fidel.jp/
予告で力強くアピールされていたニナ・ケルヴェルが、
なんとも、か・・・かわいい!というそれだけの理由で選択したのですが
見終わった後まっさきに感じたこと~
Ne vous derangez pas por moi!(アクサン省略/わたしにおかまいなく!)
原作はイタリアの小説「Tutta Colpa di FIDEL」。監督はジュリー・ガヴラス。初長編だそうです。
1970年代初頭のパリに暮らすアンナは幸せでした。カトリックの学校で宗教の授業を受けること、スイミングスクールに通うこと、ボルドーでバカンスを過ごすこと、日曜日には大好きな両親と弟と一緒にくすぐり合いをすること、果物をナイフとフォークを使って上手に頂くこと・・・そんな日常が、ある事情を機に、両親が共産主義を支持し始め、激変してしまうのです。
大きな家から、いきなり小さなアパートに引越し。
大好きな宗教の授業は受けられない。
キューバ人だったお手伝いさんはギリシャ人に。
家にはいつも誰かが入り浸り。
パパはヒゲをはやしてしまうし、ママは中絶体験のある女性たちへのインタビューに専念してしまうのです。
反抗してみたものの、ボルドーのおばあちゃんのところには一人で行かされてしまうし、遊びにきた学校の友達はパパの裸を見てショックを受けてしまうし、せっかくうちとけたお手伝いさんは急にベトナム人に変わっちゃうし、、、、団結の精神について教わるけど、、、、学校で試したもののうまくいかないし。
かといって、単純に両親の都合に振り回される少女の物語ではもちろん、ありません。アンナはアンナの主義主張を勝ち取るべくふくれっつらで、全力で、時には友達と取っ組み合いの喧嘩をしながら、奮闘していくのです。
幼さゆえか、ほどほどに適応していく弟と対照的にアンナは従来の生活から得た価値観で行動を選択していくのですが、両親との生活のなかでそれは不協和音を奏でることとなります。そのズレっぷりは、共産主義が抱かれる典型的なイメージを、従来の生活との対比でもってくる場面などに現れてくるのです。たとえば、夜中でもヒゲおじさんたちが入り浸っている状況、対して以前の家でしていたように夜中にトイレに行こうとするアンナ(トイレの場所を前の家と間違えてしまうあたりが何とも痛々しい)、また、激変する両親の服装、対してアンナはいかにもカトリックの学校に通う少女の服装のままであることなど、小さなことに鮮やかに、ズレはちらちらとあらわれます。
アンナ自身は、ズレていることに不満を感じ、実際に両親に主張もしたり(お風呂の水をかけられてとうとう降参しちゃうけど!)、両親の喧嘩に我慢しきれなくなって弟を連れてプチ家出を試みたりと抵抗もしています。とはいえ、仲良しのはずの友達に、「家が小さい」とか、「食事が変」とか、批判されるだろうと、薄々気づいてはいても、彼女が泊まりに来るのを止められないあたりには、家族の中で起こっている価値の転換に対応しきれないでいるアンナのとまどいが示されます。
こうしたズレやとまどいが、主義主張に凝り固まっていない両親を持ったわたしにも、なんともあまずっぱい感覚を伴って見えてくるし、なんだかとってもリアルだから、不思議。
この映画のように、両親の主義主張の転換という大事件が起こらなくても、
すでに少女時代が遠い昔のものになっても、
アンナのもつ違和感やふくれっつらに表わされる、
日常において、違う価値と共存しなければならない時の、もどかしさや悔しさ、でも結局自分で自分の生き方を見つけるしかない孤独感。
これらは今現在のわたしにもシェアできるものなのかも~
印象に残ったのは、お手伝いさんが短期間でキューバ人→ギリシャ人→ベトナム人と変わっていくところ(作ってくれるお料理も当然違ってきます)、そして「いい家柄」といわれるトレド付近のパパの実家をアンナが訪ねた場面。
それぞれは1970年代初頭という時代の特殊性を象徴するのです、
しかし、
同時に時を越えて届くのです。
自分の価値観を得て行動するためには、自分自身がもがいて迷って、いくつもの壁や橋を越えていかなければならないのだということ。
とってもシンプルであたりまえのことですが。
努力とか根性で生きていなくても、人生という道を歩いてく限り、いつか、壁にぶちあたりそれまでのペースを崩されることが多々あります。
だからなおさら、ほっといて、わたしは自分で何とかしたいと思うのかも~
周りの雑音なんて気にしないでいられたら、いいのになと感じた映画でもありました。
週半ば、来週はもう4月とは言え、まだまだすこやかに、お過ごしください。


























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